3.母の心配

4回目の親族会議が行われたのは、庭の紅葉がそろそろ色づき始めた文化の日であった。新盆にも、彼岸にも集まったが、あいかわらず長男の晋一郎が姉の和枝や、弟の晋二を説得にかかるばかりで、肝心の二人は何も言わず、さっぱり進展していなかった。晋一郎は自分の主張を言い張るばかりだし、和枝や晋二は無言の主張を続けている。
   しょっちゅう本家に顔をのぞかせていた晋二一家は、もめ出してからは寄り付かなくなってきている。時折、嫁の裕子が魚を届けてくれるが、長男夫婦を敬遠しているのか、直ぐに帰ってしまう。そう言えば孫の拓也にももう2月ほども会っていない。長男の晋一郎も、いろいろ悩んでいるのだろう、最近めっきり痩せてしまったのが朝子は心配でならなかった。

今回も同じように晋一郎の主張と沈黙で始まったが、税理士の先生から「そろそろ遺産分割協議書を作成しませんと」と促されて、せきをきったように紛糾した。
「兄さんは長男の責任というが、ずっと離れて住んでいたのに、いまさら責任もないだろう。」
だんまりだった次男の晋二が口を始めてひらいて発言したのだ。
「ニューヨークにいたのは私の本意ではない。会社の都合だ。それは問題が違うだろう。」
晋一郎は責められる覚えのないことを責められて、驚きの表情である。
「でも母さんが骨折で動けなくなったときも、父さんが白内障の手術をしたときもずっと晋二達や、私が面倒みてたのよ。一時帰国は遊びに帰ってくるだけで、肝心のときにはほったらかしだったじゃないの。」
姉の和枝までが、晋二の味方についてしまった。

朝子は3人の気持ちが分かるだけに、ひたすらおろおろするばかりだ。長男晋太郎の言うとおり、杉田の家名を残すには、長男の家督相続が一番であろう。朝子とて、戦前の家督相続制度が身に染みている世代であるから、しごくもっとものように思える。
   しかし、晋二の気持ちも痛いほどわかっていた。晋一郎は親に苦労ばかりかけると晋二のことをいうが、いい加減そうでいて、いつも両親の近くにおり、何くれとなく面倒をみてくれていたのだ。貸家の手入れも晋二に任せっきりである。晋二の妻の裕子も、見た目は派手だが、やさしい気性で、何も言わなくても朝子の気持ちを汲んでくれるかわいい嫁である。
   仕事だから仕方がないとはいえ、12年も日本を離れていた晋一郎に代わって杉田を守ってきたという気持ちが晋二にあっても当然だ。
姉の和枝は、嫁に行った手前、何も言えないでいるが、目の見えない息子の健太の将来を考えると、すこしでも足しになるものが欲しいはずである。女手一つで苦労してきた娘も、不自由な孫も、朝子には不憫でならない。亡くなった晋造も健太のことはずっと気にかけていて、何か残してやらねばと言い言いしていたことを考えると、和枝に少しでも託すのが晋造の意志のようにも思えるのだ。
   長男の晋一郎は朝子にとっても自慢の息子であったし、名門出身の嫁智子にも満足している。だがあの一家は杉田の財産などなくても、立派にやっていけるのだから、なおさらジレンマがある。
杉田の家名など考えずに、みんなが平等に受け継いでくれたら、朝子自身は何もいらなかった。「家名なんか捨てておしまい。」そう言えたら、そうできたら、どんなにか気持ち良いことだろう。

「マンションに建て替えてやるから、晋二はその中で気に入ったところをとればいいといってるんだ。なにが文句がある。おまえ親に心配ばかりかけてきて、少しくらい恩返ししたからって、面倒みたは恩着せがましいじゃないか。」
晋一郎がだんだん見境なく、言い募りはじめた。
「俺は今の家がいいんだ。勝手に建替えてもらいたくない。」
「下らない意地を張る。まったく、おまえはバカだよ。子供の頃からバカだった。」
「晋一郎。いくらなんでも、言葉が過ぎるんじゃないの」と和枝が割ってはいる。
「姉さんだって、お嫁に行くときに相当な用意をしてもらったはずだ。」
「兄さんだって、東京のホテルで盛大に結婚式を挙げてもらっておいて、それはないだろう。」
「杉田家の長男の面目ってものもある。それに晋二、お前はずっと居候を決め込んで親を頼ってきただけで、面倒をみるなんて責任を感じてここにいた訳じゃないじゃないか。僕はずっと自分で家賃を払い、自分で一家を養ってきたんだ。そんな苦労もおまえ知らないじゃないか。」
「晋一郎さんの苦労って、そりゃあ仕事はたいへんだったかもしれないけど、全部自分の為じゃない。何もかもトントン拍子に進めている人に、うまくいかない者の苦労なんか解らないでしょう。ニューヨークで親子三人エンジョイしてきたじゃないの。その間の私の苦労が分かるって言うの?」
「ニューヨークに遊びに行ってきたとでも思っているのか。帰ってこないだの、面倒みてないだの、ニューヨークがどんだけ遠いか、姉さんも晋二もあんまり非常識じゃないか。」

  激昂した議論はお互いを際限なく責め始める。朝子は、それ以上言うなと、三人の口をふさいでしまいたいくらいだった。気質は違っても、今まで喧嘩らしい喧嘩をしてこなかった仲の良い姉弟である。それがここまでもめてしまうなんて。こんな事を見届けなきゃならないなら、父さんより私が先に死にたかった。

「先生お願いします。なんとかして下さい。」

母は税理士に拝むようにして訴えた。

 

次へ     目次へ     TOPへ