4.樫の木は残った。

 「お義姉さん。お茶いかがですか。」
縁側から智子が声をかけた。
「ありがとう。すぐ行くわ。」
   庭の樫の木から座敷を振り替えると、智子の華奢な体が見えた。いつも姿勢が良く、家にいるときも化粧をかかさない智子が和枝にはいかにも苦労知らずに見えて馴染めなかったが、今ではすっかり面やつれして一回り小さくなったように感じる。
    杉田家の長男晋一郎の一周忌はその前年亡くなった父晋造の三回忌とあわせて、みどりの日の昨日、しめやかに執り行われた。杉田の家は2年続けて当主を見送ったのである。

    一昨年の12月、父晋造の相続税申告期限ぎりぎりに、ようやく分割協議書が作成されることになったが、その頃には晋一郎はすっかり痩せていて、素人目にもただ事ではないと思えるくらい面差しが変わっていた。それでも忙しさに紛れて、医者に行くことを延ばし延ばしているのを、ようやく説得して診察を受けさせたのは昨年の3月。その頃にはもう全身に癌が転移していて、手の施しようがなかったということだ。それから一月足らずで、晋一郎は燃え尽きるように亡くなってしまった。

もめにもめた遺産分割協議は、自宅は母と長男晋一郎が二分の一ずつ、6軒の貸家のうち次男晋二が居住していた棟は晋二に、残りのうち2棟を母、3棟を晋一郎、そして貸家の土地は分筆し、母、晋一郎、晋二の3者で共有することになった。
   和枝は結局何も受け取らなかった。貸家の管理はお金もかかり、想像以上に大変ですよと、税理士にアドバイスされたこともあり、また杉田の名を受け継ぐものが出来るだけ相続をした方が杉田の家名を保つには必要だろうと、考えたからである。ただ一つ条件をつけたのは、あの樫の木を切り倒さないようにということだった。
   長男の晋一郎は、この木を切って家を新築したいと言っていたことから、それに反発しての意地悪な提案であると生前晋一郎は和枝を責めた。南庭の中央にそびえるこの木があるかぎり、ここに家を建てることは無理だからだ。
   しかし、和枝は譲れなかった。実家が樫の木屋敷であることは、苦労の絶えない和枝には唯一の誇りのようなものだ。幼い頃からこの木の下で遊んで育ったのである。嫁いでからも、遠くから目立つ樫の木を見るだけで、守られているような気がしていた。和枝には杉田の家そのものだったのだ。なにも杉田を相続できないなら、せめて思い出と寄り処をと願ったからである。
「樫の木は切り倒さないこと。」
そう協議書には書き添えられた。

相続はこうして何とか収まりをつけることが出来たが、届出後も晋一郎は不満を隠そうとはしなかった。樫の木が邪魔で自宅の新築はならず。貸家のマンションへの建替えも、土地が共有であり、晋二が反対している以上、不可能なのだ。晋一郎はまったく身動きがとれそうになかった。
   それも今となってはもうどうでも良いことだ。晋一郎は結局、何をする時間も無かったし、残された者では、建替えなどをする力が無い。それぞれの心に深い傷を残して、しかし尚、昔と変わらぬ杉田の家であった。

樫の葉が風に盛大に音をたてた。樹齢150年とのことだが、落葉樹の5月の葉は清く、若い。
「父さん、晋一郎、杉田も変わるのかな。変わっていかなきゃね。」
古木のごつごつした肌を撫でながら、和枝は思わず涙をこぼした。

 

 

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