2.嫁の居場所

長男の嫁の智子は、蔵へ椀の桐箱を運び込んだ。たしか2階の奥の棚から出してきたはずだ。しかし蔵の梯子段は上り下りがたいへんで、箱を持ってあがるのは慣れない智子には一苦労である。いつもは次男晋二の妻である裕子が手伝ってくれて出したり、しまったりしていたが、さて一人で片付けようとすると正直、途方にくれてしまった。
   新盆は客が多く、出してきた椀や膳は30組もあった。洗ってよく乾燥させ、布で磨きあげるのに1週間もかかり、ようやく箱に収めたところだ。

智子の実家も杉田の家に劣らない名門ではあるが、代々官吏の家柄であるせいか、また住まいが都心にあるせいか、一時が万事合理的にすませていた。こういう場合も仕出しをとったり、他に会場を求めていたので、杉田家の法要の準備や後始末のたいへんさに驚かされる。それが通夜、葬儀、初七日、それに続く七日ごとの法要、四十九日、百か日と行事を重ねてようよう慣れてはきたところであった。
   それでも、長男の嫁として段取り良くと肩に力を入れてみても、いちいち姑の朝子にお伺いをたてる智子を尻目に、裕子が既に手際よく動いていたり、義理姉の和枝が手伝っていたりする。

義母は今年70だが、5年程前に転倒、骨折して膝を悪くしてから、思うように動けない。義姉の和枝は亡くなった義父によく似た大柄な体つきで、肉の厚い、いわゆる福顔であるが、未亡人の苦労からか化粧気もなく皺が目立ち、どうかすると丸顔で小柄な義母と同じ位に見えてしまうほどだ。義弟晋二の妻裕子は、驚くほど赤く髪を染めており、歳もまだ30と若い。智子は、いままで裕子のようなタイプとおよそ付き合う機会がなかったので、目の前にするといつも戸惑ってしまう。
   晋二が再婚した頃、義姉和枝が
「名門杉田の家にふさわしくない」
というような事を、夫晋一郎に書いて寄越したことがあるが、今でも和枝と裕子はしっくりしているようには思えない。そのくせ、家うちの事となると姑と義姉、裕子の3人の間にはことさら打ち合わせる必要もないらしく、智子だけが訳も分からず取り残されている格好だ。決して意地悪をしているとは思えないのだが、概して3人ともはっきり物事の説明をする方でなく、「何かあればおっしゃってください。」とお願するものの、説明するより自分でする方が早いといったふうで、智子は何もできない自分が歯がゆかった。

ひんやりとした蔵の中から入り口を振り替えれば、激しい夏の陽が庭木を責めている。それでも光が少し熟したような色に思えるのは、秋が近づいているせいだろうか。8月も残り1週間。息子の晋太郎の夏休みももう終わるのだ。せっかく難関K学園高校に合格したが、その発表の前日に舅の晋造が亡くなったために、ろくにお祝いもしないまま、もう2学期である。毎年恒例となっていた夏休みの家族旅行も今年はとうとう行けなかった。もっとも晋太郎の方は友達と遊ぶほうが良いのか、勝手にいろいろ出かけているようだが。

夫、晋一郎の赴任に伴って、ニューヨークに移り住んだとき、晋太郎はまだ3才だった。思いがけず12年もの長い赴任で、このまま大学までニューヨークかと思っていただけに、タイミング悪く高校入試の半年前に帰国が決まってからは、智子は本当にがむしゃらだった。
   杉田の家の同じ市内に名門K学園があったので、志望校はすぐに決まった。しかし晋太郎は東大出の父親に似て頭はいいが、それでも国語となると遅れは顕著であったから、智子は焦ったものだ。夫は仕事で忙しく、「杉田の嫁」としての責任は求めたが、具体的なことはすべて智子に任せっきりである。肝心の晋太郎も日本式の入試の大変さが実感できず、ニューヨークののんびりした学生気分をそのまま引きずっていたから、塾の手配から学習計画まで、智子がまさに孤軍奮闘したのだ。
   さらに智子を悩ましたのは亡くなった舅、晋造だった。舅の晋造にはすでに大人並の体をもつ孫が、12年前3歳で別れたそのまんまのように思えるらしい。横浜へ買い物につれてってやりたいだの、あるいは海水浴へ、遊園地へと孫を連れ出したがる。とても甘いスポンサーの出現に晋太郎もまんざらではなく、すぐに付き合いたがった。晋太郎の部屋から舅の声を聞くたびに
「今は入試が控えていますから、合格したら、祝ってやってください。」
とお願いしたが、舅はまた
「晋太郎は勉強ができるから、そう必死にならなくても大丈夫。根を詰めて体壊しちゃなんにもならないよ。」
と、一向に気にするふうはなかった。合格した今になってみれば、もう少し、晋太郎におじいちゃん孝行をさせてあげれば良かったとも思うが、その時そのような余裕もなく、またそれだけは何といわれても譲れない智子であった。
   舅の事は、幾度となく晋一郎にも訴えたが、今ひとつ緊迫感にかける返事しか返ってこない。「ああ言っとく。」の繰り返しである。もっともニューヨーク支社から本社へという、商社の財務マンとしては王道を歩いている夫の仕事がそれだけにきついことも、結婚前まで同じ職場にいた智子にはよく解るのだが。 

「お椀の箱は右側の一番上ですよ。お義姉さん。」いつのまにか、義弟晋二の妻裕子が、まだ台所に残していた膳の箱を抱えて蔵に入ってきた。駅前のスーパーに魚屋として入っている晋二の店を妻の裕子も手伝っているのだが、店が暇になる昼時にはいつもこうしてやってきて、足の悪い姑の朝子を手伝っていたらしい。
「サンマの初物が入ったからって晋二さんが。届けにきた。」
ともすれば気まずい雰囲気を裕子が言い訳した。
「あら、もうサンマの季節なのね。いつもありがとう。」
「お義姉さん。貸して。」
蔵の梯子段を一段一段、箱を置きながら怖々上っている智子を見ていられないとでもいう風に、裕子は大きな箱を受け取ると、小脇に抱えてとんとん上っていく。こんな簡単な事をと、智子を嘲るように赤い髪がゆれる。あっという間に次々と棚におさめ、すっかり片づけ終わってしまった。
「お母さん、じゃあ店に戻りますね。」と母屋に一声かけ、裕子は何程も無い様子でバイクで帰っていった。

裕子のお陰ですぐに片付いたというのに、智子はすっかり疲れてしまった。「下らないこと。」とは思っているが、自分の頑張りが空回りしているようで、情けない。古いこの家はいつになったら自分を杉田の嫁として受け入れてくれるのだろうか。
   そういえば夫の晋一郎も庭の中央にある樫の木を切ってしまって、庭に新しく家を建てたいと言っていた。母屋は平屋の上に古く、庭ばかり広くて、経済効率の悪い家というのが夫の口癖だ。相続が早くまとまって、夫の言う通り、家を建てられたら。自分の城が欲しい。居場所を求めるかのように、智子はそう願わずにおれなかった。

 

次へ     目次へ     TOPへ