1.名門の跡取り 「意見はないのか。」長男の晋一郎は思わず声を荒げた。その声はひどく乾いていて、晋一郎は自分が疲れていることを思い知らされた。 「相続のことで」と杉田の家族が座敷に顔をそろえたのは、百か日法要の梅雨の夜だった。税理士が相続税について説明をし、遺産分割についてはお話し合いをと言い残して帰っていったのが、午後7時。それからすぐに晋一郎が心づもりを発表したのだが、皆一言も発せず、重苦しい沈黙が淀んだまま、時計の針は既に9時を指そうとしている。 一流商社に勤める晋一郎が、12年ものニューヨーク支社勤務を解かれ、業績の悪い部門の建て直しという重任を命ぜられて、本社に戻ったのは昨年の9月である。当然のように待ち受ける激務をこなしながら、それでも会社に近い社宅にせず1時間半もかかるこの家に戻ったのは「跡取り」の責任を感じてのことだ。 まったく葬式の後にこんなにも多くの行事が待っていると世間のみんなは知っているのだろうか。毎週末行われる法要、納骨、香典がえし、多くの親戚や父の友人達への挨拶。その上に父の残した財産を調べ、必要書類を調えねばならない。相続税の申告期限は死後10ヶ月。だが雑事に追われてもう4ヶ月近くも過ぎてしまっているのだ。 亡くなった晋造の子供は3人。一番上の和枝は農家に嫁いでいる。
夫の両親は早くに亡くなり、サラリーマンだった夫も一昨年病気で亡くなってから、農協でパートをして、女手一つで二人の子供を育てている。今春、ようやく上の娘が町役場に就職したが、18になる下の男の子が、未熟児網膜症から盲目になってしまっているだけに、苦労は絶えない。 晋一郎、和枝、晋二の姉弟3人とそれぞれの連れ合い、そして母の朝子が顔をあわせたのに、最初から話をしているのは晋一郎だけだ。何も言わない連中を相手に晋一郎は何度同じことを繰り返しただろうか。膝の悪い母の朝子は、一人縁側のソファーに座っているが、さっきからハラハラした様子で、晋一郎を見、和枝、晋二を見比べている。心配気なその視線さえ、晋一郎にはプレッシャーになってきた。梅雨の湿っぽさが首の辺りにまつわりつくようで、息苦しい。 「親父は杉田の家の跡取りとして私にずっと期待をしてきた。私はそれに答えるべく努力をしてきたつもりだし、これからも杉田の家を守っていかなきゃならないんだ。」 杉田の家は江戸時代から150年も続く庄屋の家柄である。都心から電車で1時間たらずのこのあたりはベッドタウンとして開けて久しく、駅前もデパートが立ち並び、マンションや20坪ほどの一戸建てがひしめきあっている。そんな駅前の喧騒からわずか5分ほど、しかも渋滞で有名な国道に面しながら、黒板塀に囲まれた500坪もある敷地は、そこだけポッカリと世間から隔離されたように静かだ。平屋作りの古い母屋も、国道脇にある2つの大きな蔵も、庄屋の面影をそっくり今に留め、名家の威厳を誇示している。敷地の南側は広い庭で、その中央には高さ15メートルはあろうかという樫の木がそびえているのだが、これが駅からも国道からもよく目立ち、このあたりでは「樫の木屋敷」で通っていた。 戦前までは駅から屋敷まで他人の土地を踏まなくても帰れたというような話まであったくらいであるが、戦後の農地改革やら、先代の財産分与やらですっかり売り払っていて、今では屋敷のすぐ近くに6軒の貸家が残るばかりである。その貸家も築30年は経とうかという古い木造で、年中「どこが悪い」「ここがいけない」と苦情がでるのを、そのうちの一軒に住む次男の晋二が、生来器用なのを助けに丹念に修理し、手入れをしてまわっている状態であった。 長男の晋一郎の提案はこうだ。 「姉さんに、現金2百万円は安いように思うかもしれないが、それは私の預金から出すんだよ。親父の預金は1千万円あった。しかし相続税2千7百万円やその他の費用で3百万円、しめて3千万円いるのはさっき税理士の先生が説明くれただろう。それを全部支払っていかなきゃならないんだ。そこは理解してくれても良いじゃないか。」 古めかしい柱時計が、ことさら大きな音で時を刻む。普段はまったく気にならない国道の喧騒が、風向きのせいか今夜はかすかに聞こえてきて晋一郎をいっそう苛立たせた。 |